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最高裁判所第三小法廷 昭和51年(オ)952号 判決 1977年3月15日

上告人

島崎メイ子

右訴訟代理人

桑原太枝子

被上告人

碓氷巧

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人の負担とする。

理由

上告代理人桑原太枝子の上告理由第一点について

民訴法一九八条二項にいう仮執行により被告の受けた損害とは、仮執行と相当因果関係にある財産上及び精神上のすべての損害をいうものと解するのが、相当である。けだし、この条項が仮執行をした原告の原状回復義務及び損害賠償義務につき特に定めを設けたのは、原告が判決未確定の間に仮執行をするという特別な利益を与えられていることに対応して、右判決が変更された場合、仮執行を利用した原告に対し、被告が仮執行により被つた不利益を回復させる義務を課することとするのが公平に適するとの考慮に出たものと認めるべきであり、したがつて、同条項にいう仮執行により被告の受けた損害とは、損害のうちの特定のものに限定されるものではなく、仮執行と相当因果関係にある全損害をさすものと解するのが叙上の法意にそうものというべきであるからである。これと同趣旨の原審の判断は、正当として是認することができ、原判決に所論の違法はない。論旨は、採用することができない。

同第二点及び第四点について

所論の点に関する原審の認定判断は、原判決挙示の証拠関係に照らし、正当として是認しえないものではなく、その過程に所論の違法はない。論旨は、ひつきよう、原審の専権に属する証拠の取捨判断、事実の認定を非難するものにすぎず、採用することができない。

同第三点について

原審の適法に確定した事実関係のもとにおいて、所論の点に関する原審の認定判断は、正当として是認しえないものではなく、原判決に所論の違法はない。論旨は、ひつきよう、原審の裁量に属する精神上の損害額の量定を非難するものにすぎず、採用することができない。

よつて、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(天野武一 江理口清雄 高辻正己 服部高顕 環昌一)

上告代理人桑原太枝子の上告理由

第一点 控訴審判決は民事訴訟法一九八条二項、民法七〇九条七一〇条に違背している。

控訴審判決は、仮執行宣言付判決(名古屋簡易裁判所昭和四七年(ハ)第二八号事件)が、後に控訴審(名古屋地方裁判所昭和四七年(レ)第六七号事件)で取消されたため、上告人先代が申請してなした仮執行(名古屋地方裁判所昭和四七年(ヌ)第七三号不動産強制競売申立事件)により、被上告人がこうむつた仮執行との間に相当因果関係のある全損害につき、上告人は無過失賠償責任を負うものといわなければならないと判示し、(判決理由三1)、上告人先代が無過失であるとしながら、上告人、に不動産の差押が被上告人の名誉信用を毀損したことによる損害――精神的損害ないし無形損害と考えられるが――の賠償義務あることを認定した(判決理由三23)。

これは、民事訴訟法一九八条二項によつたものと解されるが、仮執行による名誉信用の毀損による損害等、いわば間接的損害は、同法同項の原状回復または賠償すべき損害の範囲に含まれず、民法七〇九条、七一〇条により、仮執行制度利用者に故意過失ある場合にのみ責任を負うべきものであり、民事訴訟法一九八条二項、民法七〇九条、七一〇条の解釈適用を誤つたものである。

大阪高等裁判所民事六部昭和三七年一一月一九日判決(高裁民集一五巻九号六五四ページ)は、営業上の損失、精神上の損害について、その旨を判示し、その理由として

1 仮執行制度が、裁判の最初の言渡からその確定までの時間的経過による利害の解消調節を目指した、裁判の内容実現のための一種の保障的機能であり、従つて先の裁判と宣告が取消されたことによる原状回復の要請も、右の制度・機能の裏作用として必然的に要求され、故意・過失の有無にかかわらない法的義務の一種と見られ、これに関与して仮執行を求める当事者の意思は、かかる機能の利用者の域を出ない。

2 仮執行をすることは、通常は、その結果につきすべての責任を負担することを要する責任原因ではなく、しかも往々職権により仮執行を認容する事例に鑑みると、右仮執行の当然復元、即ち右の反作用として法の予定する原状回復の内容も、さきの仮執行により一旦相手方に移転した執行の目的物の機械的再移転(復帰)と、右の往復に要したる直接の失費とに限られ、仮執行による一切の損害に及ぶものではないことは、右の当然の帰結といわねばならない。

と述べているが、上告人も同意見であり――特に、実務では、仮執行制度利用者がばく大な損害賠償義務を負うかもしれないことなど全く予期していないのが実情であろう――これを援用する。

その他、

3 (審理の範囲の拡大、審級の利益の喪失)

名誉・信用毀損による損害の有無程度を審理するについては、交通事故の慰謝料を算定する場合のように損害が定形化しておらず、様々な場合がありうることなど考えれば、損害発生の有無を判断するについては、原状回復義務およびこれ等に伴う直接の失費を認定する場合と異なり、広い範囲の諸事情を審理しなければならないであろう。

そして更に、損害の程度、責任を負うべき金額を判断するについては、例えば、

仮執行宣言が原審で付され、上訴審で取消されるに至つた原因――或る場合は主張・立証を原審で十分尽さなかつたことについての訴訟遂行者の過失ないし不注意、或る場合は原裁判所の判断の過誤等――、

加害者(仮執行制度利用者)が訴を提起するに至つたことについての被害者の過失ないし不注意、訴訟提起遂行についての仮執行制度利用者の故意・過失・不注意、損害発生後の拡大防止についての被害者・加害者の故意・過失・不注意意、等々についても考慮しなければ、公平妥当な結論は得られないであろう。

特に、原状回復義義務の認定については考慮しないといわれる、本案の実体的権利が真に存するか否かについても、名誉・信用毀損による損害、特に精神的損害無形損害については考慮して全体的に判断しなければ、妥当な額は算定できないと考える。

したがつて、特に、本案訴訟と同一の手続において民事訴訟法一九八条二項の損害の有無程度を審理する場合は、派生的な事柄の審理に労力をついやさねばならず、思いがけない方向に審理が拡大して当事者の負担が大きくなり、攻撃防禦を尽すことが困難になる。そのうえ、原審では審理されず、その審級のみの審理となり、加害者(仮執行制度利用者)に誠に不利になると解する。

4 (賠償額の高額化)

各誉・信用についての損害賠償は、近時、高額になる傾向がある。

したがつて、加害者(仮執行制度利用者)は、過失がないにもかかわらず大きな責任を負担しなければならなくなるおそれがある。

また、近時、危険企業の責任について無過失責任が認められる傾向があるが、これらの企業は、大きな責任を負担しても、代金・料金等の形で、その損害を消費者・利用者に転嫁分散し、また、責任保険制度を通じて同種の危険を負う者の間に分散させることができるし、無過失責任を認める意味もそこにあるといわれるが、民事訴訟法一九八条二項の場合は、仮執行制度の利用者が企業者に限られる訳ではないから、一般には負担した責任を他に分散することができないにもかわらず、企業責任の裁判例に影響されて、高額の損害額を認定され、非常に酷な結果となるおそれがある。

5 (仮執行制度の趣旨の減殺)

仮執行制度の目的は、敗訴者の上訴の利益と、勝訴者の早く満足を受ける要求との調和であり、その機能は、濫上訴の防止および訴訟資料の第一審への集中を促すことにあるといわれる。

しかるに、判決が逆転した場合に、極めて高額の損害賠償を負わされるかもしれないということになれば、勝訴者も恐れて執行をちゆうちよするであろうし、また、訴訟が遅延しがちな今日、解決が長びくのを避けるために、不本意な和解にも、止むを得ず応ずることにもなり、更に、仮執行による全損害を、容易に仮執行制度利用者に転嫁できるとなれば、当事者は、上訴することを予定して一審の訴訟遂行に精力を集中することを怠り、濫上訴を招き、法が仮執行制度を認めた趣旨を著しく減殺する。

6 (法文の文言)

民事訴訟法一九八条二項には、相当因果関係ある全損害につき無過失賠償責任を負うべき旨の文言はない。

過失責任主義をとつたために生じた救済されない損害は、法が仮執行制度を設けた趣旨の反面として、現行法では止むを得ないことと解する。

第二点 <以下省略>

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